新しい街の風物詩『トリコローレ音楽祭』に込められた熱き思い
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今年も8月28日(日)に開催が迫る『トリコローレ音楽祭』。
2004年から始まったこのイベントは、石巻の街なかに複数の会場を設け、
地元を中心に毎年多くのミュージシャンが参加。
街のいたるところで生演奏を楽しめる、石巻きっての音楽祭に成長しました。
【立ち上げは、60年代に青春を送った人々】
昔から、音楽好きが多いと言われる石巻。
『トリコローレ音楽祭』の初代実行委員長で
現顧問の田岡吉人(64歳)さんもそのひとり。
「石巻に軽音文化が広がったのはおそらく1960年代。
駅近くに今もある『クルーザー』というバーの、僕より少し年上のマスターが、
サーフィンや洋楽などアメリカの文化をいろいろ教えてくれました。
僕らはアイビーファッションに身を包み、
その店に出入りして、音楽を聴くのがステイタスだった」
当時、青春時代を送った人々は、今や60~70代。
石巻の街が活気にあふれ、もっとも豊かだった時代を知る世代でもある。

田岡吉人さん(64歳)は、冷凍魚介類や冷凍食品などを卸す(株)十文字屋の代表取締役。右側にあるパネルは『トリコローレ音楽祭』の2004年(初年度)のポスター
【街の活気をもう一度】
学生時代はバンド活動に明け暮れたが、
卒業後は音楽から遠ざかっていたという田岡さん。
再びギターを手にしたのは、40代。
PTA活動で父兄や教師たちとひょんなことからバンドを組むことになり、
全国的にも有名な『定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台』に参加するようになった。
これがのちに、石巻でも同じようなスタイルで音楽祭を立ち上げるきっかけとなった。
「石巻の街なかの繁栄は、1960年代から70年代がピークでした。
その後、郊外に大型ショッピングモールなどが進出してきて、みるみる衰退。
子ども心に好きだった商店街の街並みが、
シャッター通りと呼ばれるようになってしまったのが悲しくて。
なんとか賑わいを取り戻せないかという思いが、ずっと頭にありました」
そんな時、一緒に街おこしをしないかと
石巻の街づくりに携わる会社から声がかかった。
仙台のジャズフェスティバルのすばらしさを痛感していた田岡さんは、
すぐに音楽を通じた街おこしのプランを提案したという。
【川開きに続く風物詩、トリコローレ音楽祭!】
約1年後の2004年10月3日には、石巻エリアで初となる街頭音楽祭を開催。
タイトルは、音楽があふれるイタリアの街をイメージし、
緑、白、赤の三色旗を意味するイタリア語「tricolore(トリコローレ)」に決定した。
石巻での三要素は、「人」「海」「音楽」。
未来に向けて守るべき海(自然)と心を潤す音楽、それらを愛する世界中の人々……
そんな思いが込められている。

毎年評判のこだわりのポスター。川開きが終わると一気に街に貼りだされる
その後『トリコローレ音楽祭』は順調に出演者を増やしながら、夏の風物詩として定着。
石巻最大の川開き祭りが終わると、一気に寂しくなる街なかを
今度は広い世代の音楽家たちが、盛り上げてくれるようになった。

田岡さんのお気に入りのデザインはこちら。トリコローレ=イタリアの旗の三色を使って
【中止か開催か。決断を迫られた2011年】
東日本大震災では、実行委員のメンバーも被災し、常連バンドの中には亡くなった人もいた。
「この年に開催しようなんて、考えもしませんでした」
それでも、同年9月の開催が実現したのは、
強く背中を押してくれる人たちがいたからだという。
「3月に震災がおき、6月にはもう、
仙台のジャズフェスの実行委員メンバーがやってきて、
『石巻の人たちが今年も音楽祭を開催するなら、
全力でバックアップする』と言われたんです」
その時石巻の街は、まだ泥と瓦礫だらけ。
物が腐ってハエが飛びまわる中、
手ではらって会議をしたのが印象的だったと田岡さん。
しかし、石巻陣としては悩みに悩まざるをえなかった。
自分たちの家や会社も被災し、多くの人が亡くなったこの街で
「音楽なんて遊び事を」やっている場合だろうか……。
数人の実行委員で、何度も話し合ったという。
「そのうちに、こんな時こそやったほうがいいのではという声が大きくなってきました。
人の心を癒し、楽しませる音楽は、きっと街のカンフル剤になる。
万一、批判を受けたら、自分たちで責任をとればいいじゃないかと、
数名で腹を括って、開催を決めたのです」
思い切って開催を発表してみると、さまざまな方面から寄付金が集まった。
出演を希望したバンドは実に60以上!
蓋を開けてみれば批判どころか「よくやってくれた」という声が圧倒的だったのだ。

人々の心情に配慮して、シンプルで穏やかなデザインを心掛けたという2011年のポスター

8回目の音楽祭となった2011年は全6ステージ、63バンド。総勢350名の方が出演した

震災の影響で例年の会場が使用できず、まだ余震もあった中で厳戒態勢下での開催に。それでも、例年以上に心のこもった演奏に観客も熱くなる、歴史に残る音楽祭となった
【音楽の醸成とかつての賑わいを目指して】
毎年募集する出演バンドには、一応のデモテープ審査があるが、
「なるべく多くの人が出演できるよう配慮している」という実行委員会。
そこには、音楽が好きな地元の若者たちを応援し、
石巻の活気を取り戻したい、という熱い思いが込められている。
今年、2016年の『トリコローレ音楽祭』には、過去最多の158バンドが出演。
中瀬公園をメインに『橋通りCOMON』や『アイトピアホール』、
その他パーキングエリアなど、石巻駅から徒歩圏内の14会場で、
生演奏が一日中、披露される予定。
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