震災は、何年経っても私たちは忘れない。

公開日:2022/10/13 最終更新日:2022/10/13

 

 

自然がつくりだしたこの世界で

未来をそうぞうし 生きることができるのが人間です

そして 判断し行動できるのも人間です

ときに大事なことを見失い

気づけなくなることの おそろしさを知ってほしいのです

なぜ 一番大切なものが見えなくなるのかを考えてほしいのです

いのちの尊さを 誰もが理解しています

平和な日常を 誰もが願っています

話しあうこと 考えること ともに確かめ合うことです

きっと あるべき未来は続いていくはずです

~『大川小学校石碑』より引用~

 

 

 

 

石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロの川沿いに位置する大川小学校は、2011年3月11日の東日本大震災で全校生徒108人の7割に当たる74名が死亡、行方不明となりました。

釜谷地区はこれまでに津波が到達した記録がなく、大川小学校が住民たちの避難場所という認識でした。

また、山や堤防に遮られているため、津波の状況が分からず、避難が遅れてしまったことも要因とされています。

児童は先生と共に校庭へ移動しましたが、避難場所は学校の判断に委ねられていたため、一向に避難場所が決まらなかったそうです。

結局、避難住民とともに新北上大橋のたもとにある交差点に向かうことになり、列になって移動していたところを津波に飲まれてしまいました。

目指していた場所は約200メートル先で、高さは堤防や校舎の屋根と同じくらいでした。

 

 

 

 

私はかつての恩師である先生を、同小で亡くしました。

 

記事にするにあたり、どのような内容を書くのが正解なのか、とても考えました。

11年の年月が過ぎれば、大川小学校での出来事が書いてある記事はたくさんありますし、同じような内容を書くのはずるいようで違うと考えました。

 

私は当時、小学4年生で湊地区の小学校で被害にあっているため、大川小学校で何が起きたのか。この目で実際には見ていません。

 

ご遺族の方の気持ちも、真に理解できていないはずです。

 

震災から11年が経過した今、私に何ができるのか。

それは「忘れない」ことです。

そして、何が起こるか予想できない未来へ伝えていくことです。

 

 

 

 

先日、大川小学校へ数年ぶりに足を運びました。

 

いつの間にか大川震災伝承館という綺麗な建物ができていて、校舎の周辺は柵で囲まれていました。

ぐにゃりと曲がった窓枠、津波が押し寄せてきた時刻の3時37分で止まった時計、倒壊した渡り廊下。

いつ見ても息を飲む光景です。

いたたまれない感情で校舎を見ていたところ、向日葵が咲いているのが見え、あの日から時間が経っていることを、この時実感しました。

時が止まったような空間ですが、花はやがて土に帰り、また芽吹いていくんですね。

 

 

 

 

ここからは今後起きる地震、津波災害に備えて重要だと思う点をまとめたいと思います。

 

・すぐに高台へ逃げれる環境にいること

 

学校周辺をぐるりと見渡すと、山に囲まれた地形をしているため、津波が来ることを意識させなかったことが想像できます。

また市の「防災ガイド・ハザードマップ」は同小を避難所として利用可としていたため、ここには津波は来ないと思っていた人も多くいたと思います。

 

『宮城県総務部危機対策課』より引用

 

 

校舎自体も二階までしかないので、近場で逃げるとすれば裏山しかないです。

しかし、当時は津波警報が発令されていたとはいえ、冷静な判断を下すことが容易ではなかったはずです。

誰もが困惑した中で津波が襲ってきたのだと思います。

 

私がいた小学校は湊地区に位置していたため、黒い津波が堤防を越え、正面から襲ってくるのが二階の窓からわかりました。

学校がどういう地形に位置しているのかということが今となってはとても重要なのだと思います。

また、住む場所も海や川付近ではなく、少なくともすぐに高台がある場所へ逃げることができる環境に住むなど工夫が必要です。

いま海や川の近くに住んでいる人には、大津波が来ることを予想した上で対策をしてほしいです。

 

 

 

 

・家へ戻らない

大川小学校へ子供を迎えに来た親が、忘れ物をしたといって家へ向かい、津波に飲まれてしまった、という出来事が記事に書いてありました。

当時、湊地区周辺の道路も家へ戻る人、避難する人で渋滞が起きており、車の中にいたまま流されてしまった人が多くいます。

私も地震が起きた後、親が迎えに来て、荷物を取りに一度家へ戻ってしまいました。

幸い家が学校の近くだったので、津波が来る前に学校へ戻ることができましたが、10分、15分避難が遅れていたら私も家族も生きてはいられなかったと思います。

 

大事な人がまだ家にいたり、荷物を取りに行きたくて戻りたくなる気持ちもわかります。

ですが、今ここにあなたの命があることが大事で、自分が危険を冒す必要はありません。

自分の身を守らなければ、残された人が一生悔やむことになります。

自分の身の安全が確保された上で、助けられる人を助けてください。

 

 

 

 

・非常用グッズの準備

東日本大震災を機に、非常用グッズを用意した人は多いのではないでしょうか。

 

大川小学校に津波が押し寄せた直後、教諭と数人の生徒は裏山を上がるなどし、一部は助かりました。

竹林で他の住人らと一緒になり、大人が持っていたライターで火をおこして一晩を明かしたそうです。

 

私の母もたまたま非常用バッグを持って避難していたため、校舎内の廊下や教室にろうそくで明かりを灯しました。

電気も水道も止まって、夜は寒く真っ暗だったのでとても不安でしたが、ろうそくの火の温かみは今でも忘れられません。それだけで安心感があったのです。

 

↓個人的にあって助かった物

・ろうそく

・水

・アルミシート(冬に暖をとれる)

・携帯用カイロ

・懐中電灯

・携帯食

・学校にあったバケツ(地震直後に先生が水をためてくれていた。トイレを流すためにも使える)

・携帯ラジオ(避難住民の誰かが流してくれていた)

・ぬいぐるみ(クラスメイトの不安を和らげるために使った)

 

特に大事なのは水です。人間は水がないと生きられません。

2リットルの水を何本か買って、家や学校、職場に置いておいた方がいざという時にとても助かります。

 

また、インターネットで「防災グッズ」と調べればたくさん必要な情報が出てきます。

今は百円ショップでも防災グッズが売っていますので、ご家族と相談しながら用意しておくことをおすすめします。

バッグのどこに何が入っているのか、定期的に確認することが大事です。

夜に災害が起きた場合は暗くて見えないので、今のうちから把握しておきましょう。

 

バッグを家のどこに置いておくのかも重要です。

玄関近くや、すぐに持ち出せる場所にあると速やかに避難ができます。

 

 

 

 

現在大川小学校は、石巻市震災遺構という施設になっています。

犠牲者の慰霊・追悼の場とするとともに、震災被害の事実や、学校における事前防災と避難重要性を伝えていくことを目的に公開されています。

 

広場には慰霊碑や献花台が設置されています。

 

大川震災伝承館では、震災前後の写真等のパネルや地域模型、実物資料を展示する展示室の他、多目的スペースがあります。

 

 

緑の綺麗な場所なので、石巻市を訪れた際は足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

↓石巻市震災遺構ホームページ

https://www.city.ishinomaki.lg.jp/ruins/okawa/010/20210525140840.html

 

 

 

私は東日本大震災が起こるまで、命を軽く見ていたのかもしれません。

いつだって失ったときにしかその大切さに気付くことができない。

今だって誰かにとっては大事な人が亡くなっても、ニュースでは数字でしか表れない。

言いたいことは募るばかりでこの気持ちはどうしたらいいのかわからない。

でも、きっと想うことでその人が救われるのだとしたら、ずっと想い続けましょう。

私たちにはそれしかできないのですから。

もう会えないあなたに今日を誇れるよう、生きていきます。

 

 

 

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