皆さんは、宮城県女川町に浮かぶ出島(いずしま)を知っていますか?
女川町にある船着き場から『しまなぎ』に乗り、20分くらい船に揺られると到着します。
目の前に綺麗な海が広がり、岸壁には漁師さんがくれる魚目当てで猫が集まり、夜空をふと見上げると月や星々がきらめく、潮の香りがする島です。
出島の名前の由来は、「内陸から前方に離れ出た島」という意味で名付けられました。
島の周辺は、世界三大漁場である金華山沖と呼ばれる好漁場があります。製塩業から始まり、現在は漁業が主流です。
名産品は、メバルやウミタナゴ、アイナメ、ツブ貝などで、釣り目当てに訪れる人が多いです。
また、銀鮭やホタテ、ホヤ、牡蠣の養殖もしています。
全島が三陸復興国立公園に指定されていて、本土と島を結ぶ全長364mの橋が2024年の完成を目標に建設が計画されています。
2022年現在は三重県津市にて橋の製造が行われており、その後は大きい船で女川町まで運んで組み立てられるそうです。
本土と繋ぐ橋ができることで、人々の生活はどのように変わっていくのでしょうか。
島民の方々も実感が湧いていない状態です。
↑現在建設中の橋の両端が見えます。
出島と女川町尾浦が繋がる予定です。
私は幼いころから夏休みや冬休みになると、決まって出島の祖母の家に遊びに行っていました。都会の人からしたら、どこにも遊ぶ場所は見当たらないのに、何をするのだろうと思うかもしれません。
夏は透き通った海で泳いで、浜辺でスイカ割り。手ごろな石を拾って、水切りを誰が一番上手いか競ったり、シーガラスを集めて自由研究の作品を作ったり。漁師さんの船に乗せてもらって釣った魚を焼いて食べたり。細い坂道を上ってスケボーで滑ってみたり、山に遊びに行って秘密基地を作ってみたり。
大自然に囲まれて過ごせるのが出島のいいところです。
先日3年ぶりくらいに出島に行く機会がありました。
当日は雨が降っていたので、『しまなぎ』に乗っているとアトラクション並みに揺れて、面白くてつい笑いがこぼれました。
船酔いをしてしまう方へ ①海が荒れることは、海が歓迎してくれていると前向きに考えましょう。 ②船酔いをしてしまった場合は、頭から冷水をかぶりましょう。(以前船で働いていた機関士さんに教えてもらいました!) |
酔わないコツは揺れが激しい船首や船尾側に乗らないことですが、『しまなぎ』は船体が小さいのであまり意味がないかもしれません…
今回は出島にある観光スポットをご紹介したいと思います。
↑船の発着所
以前は一日に6便『しまなぎ』が来ていましたが、現在は3便運航しています。
ここではお客さんが乗り降りするのはもちろん、宅急便の荷物を受け取ったり、船の乗組員さんと少しの間交流する場所でもあります。「いつもどうもねー!」「船の運転上手くなったねえ」とおしゃべりしています。私も乗組員さんとは顔見知りだったので、久しぶりに会えて嬉しかったです。
ここから見る海はとても綺麗で癒しスポットでもあります。
都会に疲れた方にはぜひ見に来てほしいです。
『しまなぎ』は、シーパル女川汽船が運航している高速貨客船です。
黒田川造船で建造され、2006年8月6日に就航しました。
金華山への航路を運航していた、丸中金華山汽船の離島航路撤退後、出島・江島航路の一体運航による合理化を図るために設立されたシーパル女川汽船は、江島汽船の所有船「こうほう」を運航していましたが、新造船として『しまなぎ』が導入されたという歴史があります。
↑待合所
船が来るまでの間は待合所にいます。
そして出島に一個しかない自動販売機がここにありますが、私が買いに行った時は半分以上売り切れの状態でした…。一体いつ補充されているんでしょうか…(笑)
震災前は待合所の近くに商店もあったのですが、今はありません。
個人的には海の家を作ってカフェやアクティビティのレンタルとかできたらいいのにな、と密かに思っています。
↑昭和三陸地震大津波記念碑
待合所から少し歩いたところにあります。
昭和8年3月3日14時30分発生した地震は、女川町も大きな被害を受けました。
住宅は半壊や全壊、津波の影響で床下浸水した家も多く、船で使われる道具もたくさん流されたそうです。
記念碑の表面には、『大地震の後には津波が来る 地震があったら津波の用心』。
裏面には、『畏くも天皇・皇后両陛下には災害の甚大なるを聞召され、特に罹災者に対して救恤金を御下賜あらせらる まことに恐懼感激に堪へず、ここに聖恩の宏大なるを永く後世に傳えんとする この記念碑は朝日新聞社寄託の義金弐拾余萬円を罹災町村へ分配したる残額をも て建てたるものなり』と、昭和天皇より救恤金が贈られたことが明記されています。
この記念碑と同様のものが女川町はじめ南三陸町、石巻市内各浜に点在しています。
↑永清寺にある『いのちの石碑』
昭和三陸大津波記念碑から山の方を見ると、お寺があるのが見えます。
石の階段を上っていくと、永清寺に着き、そこに『いのちの石碑』があります。
『いのちの石碑』は、東日本大震災の教訓を後世に伝えるために女川中学校の卒業生らがプロジェクトを立ち上げました。「1000年後の命を守る」を合言葉に、津波到達地点より高い場所に町内計21基建立されたものです。
石碑に書かれている碑文は、21基それぞれ違った思いが込められており、永清寺の石碑には『あの時の悲しみ 苦しみ 忘れない』と刻字されています。
永清寺から眺める海の景色もとても綺麗です。
↑出島縄文配石遺構(ストーンサークル)
入り口から山道を登ると、縄文時代に作られたストーンサークルが見えてきます。
ストーンサークルは、祭祀、埋葬、宇宙との交信など様々な目的があるとされていますが、その目的は未だ不明です。研究は行われているものの、離島にあるため脚光を浴びることは少ないのですが、その付近からの海の眺めは島の中でも有数の眺望です。
出島では銀鮭の養殖が行われているので、この場所から生け簀が見えます。
また、現在建設中の出島と尾浦を繋ぐ橋の両端が見えるのが写真から分かります。
私が先日行った時は、草花が生い茂り、珍しいキジの子供にも出会えました。
生き物との出会いもあるのが大自然のいいところですね!
↑女川町立女川第四小学校
こちらの小学校は東日本大震災後に廃校になりました。
50年以上前、島の人口は1200人以上で小学校、中学校の生徒数も合わせて360人以上いたそうです。
しかし、結婚して出島を出ていく人も多く、生徒数は徐々に減少していきました。
震災当時は住民の多くがこの小学校に避難し、救助を待ちました。
本土との連絡手段はない状況でしたが、島内にある衛星電話のうち1台が残っていたため連絡が付き、翌日には生き残った全島民がヘリコプターで島外に避難することができました。
現在でも建物は残っており、窓から教室の中が見えます。ですが、劣化により雨漏りが起きる問題も発生しています。
寺間には島内に一つだけ存在する『民宿いずしま』があります。
2017年に閉鎖されていましたが、2018年3月に再開されました。
各部屋から美しい海が見渡すことができ、『新鮮満喫プラン』では出島でとれた新鮮な魚介類を食べることができるので、とても贅沢な時間を過ごすことができます。
料理は季節によっても変わるので、出島で採れる旬の海産物が食べたい方は是非いらしてください。
ビジネスプランもあるので、お仕事で来られた方にもオススメです。
虫や鳥のさえずり、木々のさざめく音、波の音。
全ての命のきらめきを感じられる場所。
それが出島です。
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